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めがね旦那さんの『「3人」の裏側にあるモノ』を拝読して

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自分の考えをまとめるために

めがね旦那さん(@megane654321)という小学校の先生がいらっしゃるのですが,その方のTweetを拝見して,これは指導者である自分も真面目に考えなければならない問題だと思い,まとめていくことにしました。

※問題文から考えて「小学校3年生を対象とした単元テストの問題」,という前提です。

※子ども向けではありますが,私の「間違い」に対する考え方は以下の記事にまとめてあります。

めがね旦那さんのTweet

実際のTweetは以下のような内容です。

引用失礼しますm(_ _)m

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私の場合は×

まず,個人的な結論からいうと採点では×にします。

ただし,「3こ」,「3つ」,「3粒」等は○です。

「何個」と聞かれているので「3個」以外認めないという考えもあると思いますが,「日本語で聞かれたら日本語で答える」という私の基準では×にする理由がありません。

(three,three candies も○…かな…?)

ただ,大人でも単位や助数詞をつけずに答えることがあるので,「3」だけは○にしてアドバイスします。

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めがね旦那さんの意見に対する私の考え

切り取った方が考えがまとめやすくなるので,「あえて」抜粋していきます。

「全体を見ろ」という批判は不要です。

また,批判的な部分もありますが,それは私の自問自答だと思ってください。

決して非難するのが目的ではないということだけはお忘れなく。(過剰な自衛)

Tweetに対する考え

問われているのは「3」という数字であり、それが答えられていたら○でいいのでは無いだろうか

文章題である以上,問われているのは「3」ではなく,「3個」です。

「3人」では「日本語で聞かれたら日本語で答える」という基準を満たしていません。

文章が読み取れていないという意見が多いが、これ国語の読み取りではありませんよね?

算数と国語を区別する理由がありません。

算数だったらこう,国語だったらこう,という教え方は読解力を伸ばす妨げになります。

確かに数学用語以外にも数学でしか使わない「数学語」とも感じられる語句もありますが,使いこなせれば自分の論理を日本語で表現する際に役立ちます。

日常生活で数詞を間違える子どもってたくさんいませんか?何でも「〇個」とか「〇つ」とか。それはつまり数詞についての指導をしっかりやっていないこと裏返しかと
そこでバツを付けるのはフェアなのか

小学生の場合,子どもによって「常識」の範囲に差があるので,常識に頼るような問題を扱う際は注意が必要です。

3年生であれば「○○個」「○○人」は常識として扱いますが,前提として,数詞,助数詞,単位を扱う文章題を出すならそれらの指導をしっかりすべきです。

指導ができていないのなら文章題を出すのが間違っていますし,できているのであれば当然フェアです。

僕は〇にしたらいいと思う。
その上で正しい数詞を本人に伝えてあげればよい

これはテストを使ってどう指導をするかという話です。

なぜテストをするのか,○×はどういう意味なのか,テスト後に何をするべきなのか等々,子どもに伝えるべきこともあるでしょうし,先生がテストをどう活用するか考える必要があります。

テストをやりっぱなしでは,子どもは点数しか見ない,先生も成績をつける基準にしかしないという最悪の状況になりますので。

noteに対する考え

①助数詞の付け間違いや付け忘れはテストでは日常茶飯事

文章題における助数詞の付け忘れや付け間違いをする子どもは一定数存在します。

つけ忘れとつけ間違いは別物です。

どちらもエラー・ミス・不勉強の可能性がありますが,段階が違うのでその後の指導方法は異なります。

特につけ忘れの場合,正しくつけられるかどうかの判断が不可能ということに注意が必要です。

どちらにせよ,そういった間違いが「一定数」存在するということは,「減らすことができていない」指導法に問題があるということです。

これは子どもの特性なのでしょうが、答えの値が計算で出せるとそこで安心してしまうのでしょう。

これについては自分の課題でもあり,数学の指導をしているとどうしようもなく感じる子どもの「成熟」具合については同感です。

文章題において途中で満足してしまう,ゴールを見失ってしまう子どもは中学生,高校生にもいますが,ゴールを意識させながら解けるようになるための有効な指導法は見つかっていません。

だからといって「気をつけて」ではなんの解決にもならないので,現状では徹底的に「見直し」することを対症療法としています。

※小学生の成熟については,下の「小学生を指導する難しさ」で触れています。

子どもにそのことを指摘をすれば、すぐに「あぁ」と気づけるレベルの些末なことです。一点の差で進学校が決まる入試の世界のテストではありません。子どもも教師も「次からは気をつけようね」という話です。

些末でも間違いは間違いですので,どちらでもよいことではない限りしっかりと悟らせるべきです。

もしそれを○にすると,十中八九間違えたことは一瞬で忘れ去られるので,子どもに省みる時間を与えるという意味で×にすべきです。

間違いや小さな違いに敏感になることは,入試に限らず学習において重要なことです。

大人にとっては「次は気をつけよう」程度のことであっても,その考え方が子どもに伝わり,子どもにとっても「あぁ」という程度の価値しかないと思わせてしまうのは問題です。

1cmという基準までしか知らない人は7mmと8mmの違いが分かりませんから。

②助数詞は日常では曖昧に使われている

助数詞という言葉に馴染みがない方は多いでしょう。僕も適当に使っていました。中には「単位」という言葉と混同されている方も多数見受けられました。

両者は明確に異なるモノであり、そこを混同されては話になりません。

日本は世界的に見ても助数詞が多い国で,中には単位のように扱われているもの(畳や俵等)もありますし,単位においても日本独自の尺貫法があるため,あえて助数詞と単位を区別する必要はありません。

(区別できる必要も正直ないと思います。)

混同している大人が多いということは,それだけ日本人の考え方に馴染んでいる証拠でもありますし,それが数学の学習を阻害しているとも思えません。

それどころか,算数的活動においてはとてもよい教材になります。

また,12個 ÷ 4人 = 3個/人 という考え方もありますので。

「アメを3人で良しとするなら3cmも3mも3kmも全部同じなんだろー!」というご意見を多数拝見しましたが、それは暴論なことはお分かりいただけますよね。

「アメを3人で良しとする」のが間違いであり,助数詞と単位に関しては上のような考え方なので暴論とまではいえません。

単位は計算で求めるモノであり、計算の立式段階でも間違えてしまえば正しい値は出ません。よって単位間違いについてはもちろん丸をつけるはずもありません。

この部分は理解できませんでしたし,全体的に,「3人」と書いてしまう原因がエラー,ミス,不勉強のどれを前提にしているかが分かりません。

「3人」を○とするなら,「cm」を「km」と書き間違えても○なのでは?

文脈から該当する状況を推測はできますが,今回の話題に関しては「正しい値は出せたが,助数詞をつけ間違えた」という条件で「3人」を○にすべきというご意見だと思うので。

助数詞は日常ではとても曖昧に使われています。

この点については同意で,最初に書いた結論の通りです。

ある方が「採点基準の揺らぎ」と表現されていて納得しました。基準が非常に恣意的なんですよね。僕が「3人」で丸をしたことも恣意的ですが。

採点基準が揺らぐのは「出題意図,採点基準を決めていない」からですが,テスト指導をするのであればあってはいけないことです。

恣意的な採点をするのであれば,テスト自体をやめた方がいい。

③そもそも文章題をする意味とは

この部分に関しては,全体的に違和感を覚えます。

文章題はどうしてあるのでしょうか。計算問題だけでもいい気がしませんか?
僕の予想では、以下の3点が考えられます。

A:算数を「生活に活用できているか」を見るために生活場面を文章題にしている
B:児童の「思考力」を見るため
C:計算問題では間違いが起こりにくいので正答率が低くなりがちな文章題を設定して児童間で点数の差をつけるため

とありますが,文章題の目的は出題者側が決めることです。

学習指導要領から抜粋するのであれば,

  1. 日常の事象を数理的に処理する技能
  2. 日常の事象を数理的に捉え見通しをもち筋道を立てて考察する力
  3. 数学的な表現を用いて事象を簡潔・明瞭・的確に表したり目的に応じて柔軟に表したりする力
  4. 数学的活動の楽しさや数学のよさに気付き,学習を振り返ってよりよく問題解決しようとする態度
  5. 算数で学んだことを生活や学習に活用しようとする態度

これらの力や態度を養う,または,評価するために「必要であれば」文章題を用いるので,今回の文章題はどういったつもりで出題したのかが重要です。

私だったら1,3を評価するために用いるので「3個」は×としますし,2,4,5を評価するには不適切です。

Cはまさに今回の事例を引き起こしている主要因とも言えます。計算問題は正答率が高いです。しかし、それだけでは全員が100点になってしまい「差」がつかない。すると、評価の材料としては使いにくい。だから「差」をつけよう。無答率も高くなりがちで、助数詞の付け間違いも起こしやすい、そんな文章題を設定しよう。そんな悪意をヒシヒシと感じる僕は随分ひねくれていますね。

「出題意図」と「採点基準」が関連しているとは限らないので「主要因」ではないと思いますが,諸悪の根源ではあります。

小中学校に蔓延っている「相対評価」,「知技考」等の恣意的な評価方法は早急に見直すべきです。

個人的には小学校では評価自体いらない派ですが。

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小学生を指導する難しさ

まとめる前に,不確定要素について触れておきます。

以下の内容は経験則なので証拠はありませんし,当然個人差があります。

エラー率とエラーに対する感情の希薄さ

小学生を指導する上で障害になるのが成熟度合いです。

「成熟」という言葉をあえて使うのは,指導をしていて教育ではどうにもならない部分があると感じられるからです。

これは気分を制御して学習と向き合う姿勢,ともいえるかもしれません。

それが家庭でのしつけによる違いなのか,経験によるものか,単純に年齢や性格によるものかは分かりませんが,年齢が上がるとともに変化していきます。

数学においては,学年が低ければ低いほどエラーが多く,そのエラーに対する感情も希薄なことが挙げられます。

エラーに対する感情が希薄な子はテストが返却されても「間違えた!あ~あ」と,恐らく10秒くらいで間違えたことが意識から消え去ります。

その結果,エラーに対して「次は気をつけよう」という気持ちになりづらいので見直しをしません。

テストが埋まれば満足,あとはギャンブル,という状態です。

3~4年生が境目

普段低学年から高学年まで通して指導していますが,見直しできるようになるかどうかの境目が3~4年生です。

この時期は,少数,分数あたりをしっかり理解しようとするかテクニックで乗り切ろうとするかの境目でもあり,算数が苦手な子が明確になります。

今回の話題に関連するところでいうと,この時期に単位や助数詞をつける癖がついた子は,基本的にその後の指導がいらなくなります。

その子にとって助数詞,単位は大事なものになり,つけるのが当たり前になるんです。

だからこそ,3~4年生において単位,助数詞の指導は手を抜いてはいけないというのが実感です。

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まとめ

まず,テストの問題は天から降ってくるものではなく「どういった問題を出し,どういった採点基準にすれば,学習指導要領の目標の達成度合いを測ることができるのか」を考えた上で先生が決めるものです。

教科書や,業者のテストプリントに頼りきっている先生にはこの目線が足りません。

今回の問題は「12個のアメを4人で同じ数ずつ分けました。アメは1人何個になりましたか。」ですが,なぜこの問題でなければならなかったのでしょうか。

また,採点基準は答えに3が入っていれば○なのか,3個と答えれば○なのか,3つや3粒でも○なのか,どういうつもりだったのでしょうか。

個人的に,もしこの問題を出題するとすれば,「日常の事象を数理的に処理する技能」,「数学的な表現を用いて事象を簡潔・明瞭・的確に表したり目的に応じて柔軟に表したりする力」を評価するために用いるので,最初に述べた結論の通り,「3人」は×,「3個」,「3こ」,「3つ」,「3粒」等は○にし,「3」だけは○にしてアドバイスします。