「才能」とは何か?
「才能」という言葉ってどういうときに聞く?
「あの人は○○の才能がある」
だいたい他人を評価するときに使うよね。
ということは,「才能」っていうのは「他人から認められた力」だと考えてもいいんだよ。
まあ,自分で自分のことを才能があるっていう人もいるけど,それは自己評価できるくらい努力してきた人か,ただの自意識過剰の人じゃないかな。
「才能」に基準はない
そもそも,色々な才能があるけど,どれも明確なラインがあるわけじゃない。
もちろん同じフィールドに立てば才能の有無は判別できるけど,違うフィールドの人から見たらまた別の感じ方をするだろうし。
僕からすれば,センターの数学ⅠAで満点取ることは大したことじゃないけど,サッカーのリフティングは10回できればすごいと感じる。
ということで,才能というのは相対評価だから,その有無を考えることに意味はない。
ちなみに,天才,秀才は確かに存在する。
その人を目の前にして初めて実感するけど,自分が何をどう頑張っても到達できない場所にいると感じる人はいる。
絶対評価で,あらゆる分野の能力に長けている秀才,秀才と比べても別次元の天才。
1を聞いて10を知る秀才,1を聞かずとも10を知る天才。
ちょっと羨ましいね。
「才能」は開花させるもの
明確なラインがないのだから,他人から認められるくらい力をつければそれが才能になる。
つまり,誰でも才能は作れる。
人はそれを才能が「開花する」という。
生まれた瞬間から分かる才能などほとんどないのだから,他人にその力が認められた瞬間が「開花」ということ。
ただ,どの才能でも開花するかというとそうではないと思う。
実際,プロ野球選手になるレベルを才能があるとするなら,ドラフト対象選手と入団できる選手の人数から計算すると0.1%,つまり,1000人に1人しか才能がないということになる。
逆に言えば,1000人中999人は才能がないということ。
実際はそんな評価はされないと思うけど,分野によってはこういう線引きになる。
だから,すべての分野の才能が開花するとは言えないけど,世の中には数え切れないほど分野があるのだから,誰にだって開花させられる才能はあるはず。
「才能」の見つけ方
基本的には開花する可能性がある才能は自分で探すしかない。
中には他人に見出されて気づく場合もあるし,一生かけて探して見つからないかもしれないけど。
ただ,才能の有無なんて証明できないから,まだ気づいていないだけだと考えようよ。
そして,できるだけ早い段階で気づくには,とにかく気になったものを片っ端から試していくしかない。
途中でいらない才能を見つけるかも知れないけど,才能の数も1つとは限らないから探し続ける価値はある。
勉強に関しては,小中学生の間にある程度は判断できると思うけど,ある先生とか参考書に出会って一気に開花する可能性もあるからね。
まとめ
ここまでの話をまとめると,勉強に才能は必要ないってことになる。
だって,勉強して,受験して,結果を出せば力を認めてもらえる,つまり,才能が開花するわけだから。
才能を言い訳にせず,ちゃんと勉強と向き合うこと。
あいつは才能があるから自分より勉強ができる?
違う。
単純に自分より勉強しているだけ。
無駄な情報,無駄な基準に惑わされず,ただひたすらに頑張ろう。