聞き飽きた議論
これは数学に限った話ではないけど,長く耳にしている話題だよね。
これが義務教育の範囲の話なのか,それ以降の範囲の話なのか,役に立つってどういう意味で聞いているのか,数学のどの分野について聞いているのか…
なかなかスタートとゴールが定まらない議論だなーとずっと思ってきた。
そんなわけで,よく聞く回答と,最後に僕なりの回答をまとめてみたよ!
※質問者「」の部分は僕の妄想なのであしからず…
回答①「数学を使う仕事はたくさんある」
「役に立つ」=「仕事で使う」
という考えのもとに出てきた回答だろうね。
確かに,
- 数学者,数学の先生,学習参考書の出版社等,直接的に数学を使う仕事
- プログラマーやIT関係(あえてこう書くけど),金融系等,スキルの中に数学が組み込まれている仕事
- マーケティングや保険,経済系等,大量のデータを扱い,統計的な処理が必要な仕事
ちょっと考えただけでも,数学を使う仕事はたくさん見つかる。
特に3つ目なんて,業種に限らず必要になるんじゃないかな?
質問者「じゃあ一般的な職業なら統計だけ学べば良いじゃん?」
回答②「数学を使わない仕事をしている人は捨て駒」
ん~これは極論。
でも,仕事に限らず,何かしらを突き詰めていく過程で数学が必要になることは多いはず。
それに気付くかどうかは本人次第だけどね。
質問者「そんなことないもんっ!」
回答③「ゲームを有利に進められる」
これは確かに!としか言いようがない。
僕は箱庭ゲーム(町を育てる系)が好きなので,どの建物をどのタイミングでどこに建てるのがベストなのか考えるときに数学を使うかな。
表計算ソフト(Excel)を使って効率を計算する表を作ってみたり。
RPGでもあと何回攻撃すれば倒せるとか,魔法が何回使えるとか,経験値とか,アイテムとか,探索方法とか,単純計算では収まらないはず。
子どもに言うのはどうかと思うけど,トランプや麻雀,ギャンブルは,確率との戦いだよ?(笑)
質問者「私,ゲームなんてしませんけどなにか?」
回答④「論理的思考力が身につく」
これは「数学は役に立つ!」系の本やネット記事で多く見られる回答。
誤解を恐れずに言うと,
「数学自体が大事なんじゃない,それを学ぶことで身につく論理的な考え方が大事なんだ」
という話。
正論だね。
でも僕は好きじゃない。
ただ,一般企業で働いていたとき,数学ができない人と話をするのは本当に無駄が多くて疲れるとは感じたかな。
質問者「論理的思考力って数学じゃなくても身につくでしょ?」
回答⑤「世の中は数学でできている」
なるほど。
いま目の前にしているこのディスプレイだって数学がなきゃ存在しなかっただろうね。
実際,工学系では高校よりもっともっと難しい数学を使ってるし,みんなが大好きなゲームにはもちろん,座っている椅子を作るのにも数学は必要。
高校までの内容ができなくてその応用ができると思う?
それ以前に,高校での理科には数学が必要だよね。
ただ,「数学は道具」って言い切っちゃう先生は嫌い。(理科の先生に多い)
質問者「数学ができる誰かが作ってくれるなら,自分が学ぶ理由にはならないじゃん?」
回答⑥「物事の優劣をつけているのは数学」
何かを比較するときに,ざっくりとした「良い」「悪い」だとやっぱり限界があって,どうしても数字が求められるよね。
みんなが一喜一憂,いや,振り回されているテスト点数や偏差値もそう。
それを計測する方法や基準だって数学で作られているはず。
質問者「私は他人の評価なんて気にしないの!自由でいたいのよ!」
回答⑦「自慢できる」
だんだん苦しくなってきたね…(笑)
確かに,算数・数学って5教科の中では難しいと思われることが多くて,それが得意だと自慢できるのも分かる。
でも,日本では体育が得意な方がモテる(ひがみ)から威張れるほどではない!
欧米では数学ができる人はモテるし,尊敬の対象なんだよ?
変われ!文化!
質問者「ウザっ」
回答⑧「馬鹿だからそんな疑問を持つんだよ」
言い方には気をつけようね…。
でも,質問者は「なぜ役に立たないと思うの?」と聞かれたらどう答えるかな?
質問を質問で返すな!って言われそうだけど…
質問者「バカって言ったほうがバカなんだよっ!SNSで炎上させてやる!」
回答⑨「数学は世界共通語であって,ロマンを追求する芸術なのだ」
これ大好き。
「フェルマーの最終定理」という難しい問題を360年の時を経て証明したアンドリュー・ワイルズさんも,
「この定理は,はるか将来にも何の役にも立たないだろう。だがそれでいい。私の数学が応用の奴隷に成り下がるなど,私には耐えられないことだ」
と言ったらしい。
数学をしていて美しいと感じるのは日常茶飯事なので,僕なら納得しちゃう回答。
質問者「イミフ」
回答⑩「そもそも数学の語源はだな…」
出たね,語源論法。嫌いじゃないけど(笑)
manthano(マンタノー):学ぶ(ギリシャ語)
↓
mathematica(マテーマティカ):算術,音楽,幾何学,天文学,学問(ギリシャ語)
↓
mathematic:数学(英語)
arithmos(アリトゥモス):数(ギリシャ語)
↓
arithmetike(アリトゥメーティケー):算術(ギリシャ語)
↓
arithmetic:算数(英語) ※正確には算数ではなく算術(辞書には算数って書いてあるけど,基本的には数学の一分野として扱われるモノ)
calculus(カルクルス):小石(ラテン語)
↓
calculare(カルクラーレ):計算する,数える(ラテン語)
↓
calculate:計算する(英語)
余分なモノまで書いたけど,要は,「数学」とは「学ぶ」ことそのものを指していたんだ,と言いたいんだろうね。
質問者「で?」
解答⑪「勉強とは義務ではない,先人が解明した魔法を知る権利である」
これはテレビ番組「しくじり先生」内のオリエンタルラジオの中田敦彦さんが授業をする「中田塾」という特集で,しくじり偉人伝としてピタゴラスが取り上げられたときの回答。
詳細はこちら↓
【持論】数学ってなんだろ?
数学はあまりにも根本的すぎる学問で,多くの分野,側面があるし,その利活用方法も無限。
しかも,実際に学校で学ぶ内容は「事象の抽象化」とその「数学的利用」ばかり。
そりゃ,今なにしてるんだろって学ぶ意味を見失うこともあるよね。
実際,数学の進歩はすさまじくて,証明されたことが現実世界で利用されるまでに何十年,何百年かかることも”ざら”。
でも最初はその時間差ってなかったと思うんだよね。
大昔の人は4人家族に対して100匹の魚を釣ってくることはなかっただろうし,食料が全部なくなってから狩りに出かけることもなかったんじゃないかな?
これって算数じゃない?
これは持論だから「正しい」とは限らないと強調しておくけど…
上に書いた大昔の人は,確かに生活のために計算しただけかもしれないけど,そのうち,この釣り竿はこれくらい使うと壊れるからこれくらい準備しておかなければと考えたり,隣の家族とどれだけ釣れるか勝負を始めたり,小石をお金代わりにして釣れる数で賭けを始めるたりしたのかもしれない。
それでも飽き足らず味の追求,釣り竿の改良,魚の種類や生息域の調査,新たな釣具の開発等々…
こうやって人は「課題を見つけて解決する」ということを繰り返して進歩してきたけど,いつしか生活に余裕ができてきて,現実から一歩先へ,算数から数学へ進むタイミングがあったと思う。
その一歩は,何かに利用したいとか目的があったわけではなく,ただ純粋に知らないことを知りたいという
好奇心
だったはず。
現実味の強い理科や社会,国語,外国語でなく,数学だったからこそ,そう言い切れる。
その純粋な好奇心が,他の学問と影響を与え合いつつ,長い時間をかけて積み重ねられ,広げられてきたのが数学だというのがボクの持論。
ボクなりの回答
さて,本題に戻るね。
質問者の中でも,純粋に数学がどのように利用されているか知りたい人はここまで読めば十分。
あなたのような好奇心があれば,世の中で数学がどのように利用されているか,いくらでも見つけ出すことができるから大丈夫。
そうではなく,単純に数学から逃げるためにこの質問をしたあなたへのボクなりの回答は,
「それは数学ができる人にしか実感できないよ」
だね。
卑怯にも思えるけど,これが一番しっくりくる。
もちろん,色々と補足はするけど,「実感」できるのはやっぱり習得してからだから。