数学はまさにピラミッド
数学っていうのは,正しいことだけを積み重ねたまさにピラミッドのようなもの。
昔から多くの数学者が取り組んでいて、いくつかのピラミッドに分かれつつ,今でも積み上げ続けているんだよ。
小中高で学ぶ算数・数学は、これらの積まれた石を下の方から1つずつ確認しいてるようなもの。
すでに体系化されている美しいものを見せていただけるなんて,ほんと数学者には感謝だね。
命題・公理・公準・定義・定理・系・性質・公式・原理・法則の違い
頻繁に出てくるけど,違いを説明しろと言われるとちょっと頭を抱えてしまうこれらの言葉。
ここではそれをはっきりさせたいと思う。
まずもって,数学は命題の真偽をはっきりさせることで発展してきたということを覚えておいてほしい。
「命題(proposition)」とは真偽のはっきりする文章や式のことで,命題の真偽を一切の仮定なくはっきりさせることを証明という。
数学者は「これはこうなるんじゃないか?」というような仮説等を命題として,それを証明するということを続けてきたんだ。
ただ,この命題を証明するためにも大前提が必要となる。
それが公理。
「公理(axiom)」とは,最も基本的な仮定,理由なく正しいとされる文章のことで,その集まりを「公理系(axiomatic system)」という。
学校で学ぶ算数・数学もいくつかの公理の上で展開されているんだけど,それを実感することは少ないかもしれない。
特に学校ではこの後出てくる「定義」と区別せずに教えられるからなおさら。
1+1と2が等しいことや,2つの点を結ぶことができるといったことは当たり前に感じるかもしれないけど,きちんと公理に記されている。
ちなみに,「公準(postulate)」とはユークリッド原論等の古典的な数学で使われていた公理に準ずる前提のことで,今では公理と区別されていない。
命題を作ったり,証明をしたりするとき等に新しい数学用語を使うことが多々ある。
その言葉の意味を定義という。
「定義(definition)」の定義は「用語の意味をはっきり述べたもの」といった感じで,その言葉と「=」で結ばれる文章,要はルールのようなもの。
これはその言葉を使うと決めた人が勝手に作ったものだから,いくつかの命題,証明で同じ言葉が使われていても,定義が異なることは多々ある。
ただ,小中高の算数・数学では基本的に定義が変わることはないから安心してほしい。
本来は議論が変われば定義し直さないといけないんだけど,そうなると教科書がかなり煩雑になるからその辺はさすがに配慮してくれているみたい。
あと,定義はルールだから,証明することはできないよ。
定義と混同しがちなのが定理だけど,「定理(theorem)」とは証明された真の命題のこと。
言い換えるなら,公理や証明済みの定理を用いて証明できる,定義された言葉のみで構成された命題。
要はルールに則って発見された新たな事実だね。
ただ,「○○の定理」って呼ばれるのはごく一部で,数学的に有用であったり,影響力があったり,ある程度認められなきゃいけない。
これが混乱を招く原因でもあるんだけど,「〇〇の定理」って名前がつかなかった多くの定理は,「性質」や「公式」と呼ばれたり,「名無し」になったり,学校ではあえて定理名を伏せられたりする。
それぞれを簡単に説明すると…
「性質」は「二等辺三角形の性質」みたいに1つの定理「二等辺三角形の2つの底角は等しい」を表すこともあれば,「平行四辺形の性質」みたいにいくつかの定理「2組の対辺はそれぞれ等しい」,「2組の対角はそれぞれ等しい」,「2つの対角線はそれぞれの中点で交わる」をまとめて表すこともある。
つまり,「性質」という言葉自体に数学的な定義はなく,「○○の性質」は定理の名前じゃないと考えていいし,日常的な感覚で「平行四辺形にはこんな性質があるんだー」って受け取ってくれていい。
実際,「二等辺三角形の頂角の二等分線は底辺を垂直に2等分する」という定理は教科書によって呼称が違うし,これを「二等辺三角形の性質」って表現したり,証明の中で「二等辺三角形なので」と書き換えたりしても問題ないからね。
「○○の定理」って名前がついてなければ,日本語的な間違いがない範囲で「性質」って言葉を使えると思って問題ない。
次に,「公式(formula)」とは数式で表された定理,または,定理に用いられている数式のこと。
「これを代入すればこれが出るよ」というような単純な道具,暗記の対象のように思われがちだけどこれも立派な定理で,有名なものには「ヘロンの公式」のように名前がついているものもある。
そして,「名無し」っていうのは「2直線が平行ならば,同位角,錯角は等しい」みたいに,ちゃんと証明された定理なんだけど名前がつけられていないもの。
「名無し」っていうのは正式名称じゃないから気をつけてね。
定理同士の関係を表す系というものがある。
「系(corollary)」とは定理からすぐに導くことができる定理のことなんだけど,「定理Bは定理Aの系」というのはあくまで主観的なもの。
例えば,ピタゴラスの定理は余弦定理において角が90°のときの式と同じなんだけど,ピタゴラスの定理が余弦定理の系といわれることはない。
ピタゴラスの定理の方が先に証明されていたし,歴史的に見てもピタゴラスの定理自体の重要度が高いからね。
同じようにヘロンの公式はブラーマグプタの公式の系,ブラーマグプタの公式はブレートシュナイダーの公式の系といえるんだけど,証明された順番が真逆だから系といわれることはない。
数学ではよくあることで,どちらかというと余弦定理はピタゴラスの定理の一般化というように,証明された順番を重視して「一般化」といわれるのが普通。
定理に関連して一番ややこしいのが原理。
「原理」とは感覚的,実験的に正しいとされる事柄なんだけど,原理は物理学で使われることが多く,法則を見つける出発点のような扱いをされる。
では数学ではどうか?
感覚的,実験的に正しいということは,その真偽を一切の仮定なくはっきりさせることができないから扱えないんじゃなかったっけ?
その通り。
つまり,数学において使われている原理は,全てすでに証明済みの定理。
証明せずともそうなるだろうという考えで作られたけど,数学的にはそのまま他の論文に登場させるのは許されないから,証明することができた原理のみが定理化されて数学で扱われるようになったということ。
じゃあ高校で習う「はさみうちの原理」はどうなるんだって?
実は,高校では極限自体をちゃんと定義せず感覚的にしか扱わない。
だからはさみうちの原理も証明なしに用いていいことになっている。
まあ,教科書に載ってるし,有名なε-δ論法で証明できるから大学側も許しているんでしょう。
小学校における「÷0」に始まる,教育的理由から省かれた真実の1つだね。
ちなみに,定理に関して気をつけたいことがある。
高校,大学入試においては,記述の際に定理の一部を宣言すべきだということ。
受験する高校,大学側の裁量が大きいんだけど,定理・性質・公式・名無し・原理のうち,高校受験では定理,性質を全て,大学受験では高校で習った名前のある定理,公式,原理を宣言するのが通例。
通例というのは曖昧なんだけど,学校では絶対に習わない「定理の重要性」の機微,ってやつ。
大学教授は,宣言すべき事柄は数学における暗黙の了解,矜持,流儀のようなものだと考えることが多いみたい。
余談だけど,これら定理のややこしさを生み出しているのは,日本語訳,教科書のせいのような気もする。
例えば,余弦定理はcosine formula,直訳すれば余弦公式だし,はさみうちの原理はsqueeze theorem,直訳すれば圧搾定理だし,三角形の角の性質は外角定理と呼ばれることもあるし…
大学教授レベルでは流儀的に一般化された暗黙の了解が,教育のために分かりやすくと捻じ曲げられ,結果的に学生が混乱してしまっているんじゃなかろうか。
ま,数学は歴史が長いから,そこも面白さだと感じてくれると嬉しいけども。
最後に,法則だけど,これが一番やっかい。
「法則」とはある物事と他の物事との間に一定の関係がある(らしい)ときに、その関係をさす言葉なんだけど,数学と自然科学では使われ方が違う。
具体的には,自然法則,物理法則は「反例が見つかるまでの仮説」で,数学における法則は「演算において成り立つことがある定理の定形」と普通の「定理」がごっちゃになっている。
「演算において成り立つことがある定理の定形」の例 $a$,$b$ を0でない実数とする。 交換法則の定形:$a$○$b=b$○$a$ ※○には演算記号が入る 加法の交換法則:$a+b=b+a$ 成り立つ 減法の交換法則:$a-b=b-a$ 成り立たない 結合法則の定形:$(a$○$b)$○$c=a$○$(b$○$c)$ ※○には演算記号が入る 乗法の結合法則:$a \times b=b \times a$ 成り立つ 除法の結合法則:$a \div b=b \div a$ 成り立たない |
演算と言われても中高生は四則演算とベクトルの内積,合同式の演算くらいしか種類がないから実感しづらいかもしれないけど,実際には他にもあるから,これらの法則が成り立つかどうかは議論を進める上で重要だったりする。
小中高で習う法則をまとめるとこんな感じ。
■「演算において成り立つことがある定理の定形」としての法則
- 交換法則(commutative law)
- 結合法則(associative law)
- 分配法則(distributive property)
■「定理」としての法則
- ド・モルガンの法則(De Morgan’s laws)
※形式体系によって公理または定理として扱われる - 数え上げの和の法則(rule of sum)
※別名,加法原理 (addition principle) - 数え上げの積の法則(rule of product)
※別名,乗法原理 (multiplication principle) - 大数の法則(law of large numbers)
- 指数法則(Exponents rules)
指数法則は「演算において成り立つことがある定理の定形」に加えてもいいんだけど,指数自体が累乗,乗法っていう前提のものだから「定理」に入れておいた。
底と指数にどのような数が入るか,という点では定形としての意義もあるけど,実際,指数法則がそのような扱われ方をすることは極めて少ないからね。
勝手にまとめておいてなんだけど,ぶっちゃけ「法則」は全部「定理」。
定形の方も例みたいに「加法の交換法則」とすれば定理になるからね。
あとは,英語で law,property,rule,principle が混ざっているように,日本語でも「法則」という言葉自体にもそこまで限定的な定義をしていないんだよね。
簡単に言えば作った人次第ということ。
まとめ
- 命題:真偽のはっきりする文章や式
- 公理:最も基本的な仮定,理由なく正しいとされる文章
- 公準:古典的な数学で使われていた公理に準ずる前提(今では公理との区別なし)
- 定義:用語の意味をはっきり述べたもの
- 定理:証明された真の命題
- 系:定理からすぐに導くことができる定理
- 性質:定理の呼称方法の一種(数学的な定義なし)
- 公式:数式で表された定理,または,定理に用いられている数式
- 原理:感覚的,実験的に正しいとされる事柄(数学においては定理の一種)
- 法則:演算において成り立つことがある定理の定形,または,定理
これらの違い,わかってもらえたかな?
ややこしさの原因は数学者の言葉選びのせいだったりするんだけど,基本的には公理,定義,定理に分けられると理解してほしい。
数学はまさに体系化の美。
単純な道具として見るんじゃなくて,その理論自体の面白さと成り立ち,今後の展開に思いを馳せてほしいと思う。